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2006年12月13日 (水)

vol.4.発端

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『ブナ林と狩人の会: マタギサミット』は、1990年、新潟県村上市にある三面集落移転地の小さな公民館から出発しました。

 三面集落については民族文化映像研究所のスタッフや有志によって編纂された『山に生かされた日々ー新潟県朝日村奥三面の生活誌ー』(1984.民族文化映像研究所)や拙著『越後三面山人記ーマタギの自然観に習うー』(1992.農山漁村文化協会 )に詳しく記しています。
 1985年秋、三面集落は県営ダム建設のために全戸が水没することになり、閉村しました。そして集落は全戸移転を余儀なくされ、村上市、新潟市、新発田市、豊栄市、埼玉の大宮市などへ移転してゆきました。そのなかで村上市には旧集落42戸のうち32戸が集団移転しました。その集団移転地には集落の小さな公民館が建てられ、この公民館を会場として第1回『ブナ林と狩人の会: マタギサミット』が開催されたのでした。移転地の三面猟友会9名と結成されて間もなかった三面青年会の11名が中心になって会ははじめられました。

 この会をはじめるにあたっては、会を発起した私に対して様々な意見が寄せられました。「そのような会を催して社会的責任をどうとるのか?」「まだ早い。君は若く、まだ勉強が足らないのに、何故急ぐ」「貴方は運動をしたいのか?研究をしたいのか?」などでしたが、私が選択した意見は「君は若いのだ。思い立ったら行動すべきだ。理屈は後からいくらでもついてきます。でも、やるからには最後までやり通しなさい」というものでした。ともかく、この辺りの事情は著作の『マタギー森と狩人の記録ー』(1994.慶友社)の中でも記していますが、当時はバブル期のただ中にあり、ゴルフ場やスキー場などのリゾート開発や林道開発などによる森林伐採が拡大し、豊田商事などの悪徳商法がはびこっていた時代でした。そのような中、自然保護運動も盛んになりはじめていました。確かに私も自然保護運動に強い関心を持ってはいましたが、現実に開発され行く地域の状況を見ながら、大きなズレを感じはじめていました。ズレというよりも違和感と言った方が正しいかも知れません。当時の私の目には自然保護論は強者の論理、正義を振りかざしてはいるものの人々の実生活から離れた論理として写ったのでした。それはこの日本列島の大地には根を下ろしきれない、地域の人々の現実とその歴史や文化を無視した論理に見えたのでした。私は、地域の人々の実生活に根ざした保護思想、直向きに地域の自然とまみれながら生き続けようとする生き方や考え方により強いリアリティーを感じていました。

 しかし、強いリアリティーを感じていたはずの地域には元気がなかった。世の中はバブルで浮かれていたのに地域では過疎が深刻化していました。どのような公共事業がもたらされても若年層の労働力が不足していました。そのため道路、施設建設などの工事現場で働く人々の多くが中高年層で占められていました。工事現場で日中は日雇いの肉体労働をし、夕刻村に帰って田畑の世話をする。しかも夜中の10時11時まで野良で働く人々の姿がありました。それは中山間地域では珍しいことではありませんでした。中には早朝に畑の収穫物を市場に届けてから日中の日雇い仕事に出るという人々さえありました。たとえ開発を否定しようとも地域で暮らす人々には現金収入が必要でした。町の高校や都会の大学に就学した子ども達へ仕送りをしなければならず、また衣食住ともに現金の支払いに追われる日々でした。

 そのような中で、『ブナ林と狩人の会: マタギサミット』を発起した理由は、極私的な本音を言えば、村の人たちを元気にしたかった。村の人たちの満面の笑みに出会うための、よそ者に出来る精一杯の演出、それが『ブナ林と狩人の会ーマタギサミット』であったと思います。

 第1回目の会には、私がフィールドとして通っている秋田県北秋田郡阿仁町(現、北秋田市阿仁)から5名、阿仁の根子集落の青年会から1名がワゴン車に乗って三面にやってきました。そしてもう一つのフィールド長野県下水内郡栄村秋山郷から5名、秋山郷の青年会、秋山会を代表して1名が車でやってきました。
 公民館の座敷では三面の山人達が今か今かと長野と秋田からの来訪を待ちわびていました。到着時間になっても一台の車も現れず、不安になった私は三面集落の入り口まで足を運びました。青年会のメンバーのひとりは「田口さん、本当に来るんだげー、来ねぇーんでねー」といってからかったものでした。でも、ほどなく次々に車が到着して、会は幻とならずにすみました。

 第1回目の会から3回目の会までは、参加者が増加するとは想定してませんでしたから、宿泊はそれぞれ村人達の自宅に分宿すると言うかたちを取っていました。すべてはスポンサーなどいない参加者のポケットマネーでのやりくりですから、宿は自宅に分宿、宴会の料理も各猟師の奥さんや娘さん達の手料理でした。お酒は持ち込み。足らなくなれば酒屋さんに電話して持ってきてもらうという、なんとも長閑で計画性のない会でしたが、それだけ味わい深いものがありました。

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